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開業記念日

新たな始まりの日

行政書士事務所 コスモス・オフィスは、2016年8月1日(8年前)に湧別町(旧湧別町)で開業しました。

今日から、9年目のシリーズが始まります。

これまでの経験を生かして、今後も困っている人の手助けをしていきたいと思っています。

開業の経緯

初期の認知症の症状の発現し始めた母と、母と一緒に暮らす伯母を近くで見守ることが必要があったため、母と伯母の暮らす家の近くに事務所を構えました。

開業するに当たっては、当時私たち夫婦と一緒に暮らすことを母と伯母に提案したのですが、母も伯母も生まれ育った湧別町を離れたくない思いが強く、私の思いは受け入れてもらえませんでした。

高齢化が進む過疎地において、高齢者の生活のサポートを、重要な任務とする業務を湧別町で4年間させていただきました。

やりがいのある仕事でしたが、母の状態が悪化の一途をたどり、面倒をみてくれている伯母も、私の妹が暮らしている札幌で、母と二人で暮らす決心をしてくれ、2019年12月22日に、母と伯母は、札幌での生活をはじめました。

事務所の移転

母の認知症は日々悪化を続け、伯母も面倒が見きれない状況になっていました。

2019年の初めに、自分の意思を表明できる伯母に、母を施設に入れて、伯母と一緒に暮らすことを提案しましたが、伯母は、「私が一緒に暮らして面倒を看ていく」と言い続けていました。

転機となったのは、札幌で暮らす伯母の妹(私の母の姉)がサ高住で暮らす決心をして入居の申込をしたという連絡を受けてからです。

母が「死んでやる」と言って家を出て行ったことが3度あり、伯母も面倒をみきれないと考えたのではないかと思いますが、ずっと拒んできた転居を受け入れるといってくれました。

私は、札幌の伯母(伯母の妹)の家族と同じ施設に入ることを提案したのですが、伯母に、違う施設を探してほしいと頼まれました。どうしてなのかの意味はその後に分かりましたが…。

伯母は、私が開業するときに、当時私が暮らしていた遠軽町か、私の妹が暮らす札幌で一緒に生活する提案をしていたことを覚えてくれていて、自分たちが札幌で暮らすことになるのだから、私たちも札幌で生活をするように考えてほしいと言いました。

私は、伯母の提案を受け入れたのですが、妻は私の考えに反対したので、事はスムーズには行きませんでしたが、母と伯母が札幌で暮らし始めてから10か月後に、札幌で暮らしはじめました。

札幌で暮らす自宅の2階を新しい事務所として、仕事をスタートしましたが、コロナ禍で悲惨な状況のなか、伯母が亡くなりました。

偶然の「つながり」を知る

私が札幌で暮らす場所について、伯母は、自分の妹達の事を看てあげてほしいので、彼女の家族が暮らす家の近くを希望しました。

そして、これも偶然なのですが、札幌の伯母の家のすぐ近くに売り家を見つけ購入しました。

場所は、手稲区なのですが、この「手稲」という地名が、実は湧別町に構えた事務所と関係がある事を最近知りました。

行政書士事務所 コスモス・オフィスの湧別町で業務をしていたときのホームページで使用していた写真を掲載します。

この場所は、湧別町にあった事務所からサロマ湖方面に直進し、突き当たりを右に未舗装の道路を進んだ行き止まりあります。地名は「テイネイ (teyne-i)」、アイヌ語で「どろどろしている・ところ。濡れている・処」の意味があるということです。

実は、札幌市手稲区の「手稲」もアイヌ語の「テイネニタッ (teyne-nitat)」(濡れている・湿地)、もしくは「テイネイ (teyne-i)」(濡れている・所)が語源とされているとのことです。

伯母の生前に、このことを伝えてあげたら、湧別を離れたさみしさを少し和らげてあげられたのではないだうか。

幸福追求権

9年目を迎える当事務所は、開業当時からの目的である個人の夢・希望を実現するためのお手伝いをすることを続けていきます。